テイラー主義からの脱却は経営だけの責務ではない〜『組織を変える5つの対話』解説 II 〜

2024/3/5にオライリー・ジャパン様より出版された拙訳『組織を変える5つの対話 ―対話を通じてアジャイルな組織文化を創る』を一個人が読む意味について掘り下げていきます。


 

導入

本書の原著のタイトルは『Agile Conversations: Transform Your Conversations, Transform Your Culture』で、副題の内容は「対話の変革を通じて(組織)文化を変革しよう」というものです。それに合わせて帯も「組織変革は対話から」としているのですが、「組織変革」というと話が大きすぎて、「それは経営がやることであって、個々人でできることはないのでは?」という疑問を抱く方も少なくないのではないでしょうか。

そこで、たしかに本書が目指しているような組織文化を創っていくために経営側の努力は必須なのですが、だからと言って個々人にできることがないわけではないのだ、というお話をしていきたいと思います。

テイラー主義アジャイル

前回の記事では、本書が「アジャイルの敵はテイラー主義である」と言っていると書きましたが、テイラー主義(的労働観)に対するアンチテーゼはアジャイルの文化では昔から見られます。

たとえば、ケント・ベックは『エクストリームプログラミング』の中に「テイラー主義とソフトウェア」(第18章)という章を設け、その中でソフトウェア開発におけるテイラー主義の問題点として仕事の社会構造を取り上げています。「計画と実行の分断」「開発と品質保証の分断」がテイラー主義によるヒエラルキーと分業の考え方を踏襲したものであり、そのせいで健全なソフトウェア開発に必要なコミュニケーションとフィードバックの流れが滞ってしまうのが問題だと論じています。

 

同様の観点は『エリック・エヴァンスのドメイン駆動設計: ソフトウェアの核心にある複雑さに立ち向かう』にも見られ、優れたオブジェクト指向設計のためには、各オブジェクトに「明白で限定された責務を与え、相互依存関係を最小限に減らす」必要があるのに対して、「うまくいっているプロジェクトには、他人のことに首を突っ込む人々が多い」のであり、「開発者はジェネラリストである」べきだとあります(p.502)。これはひとつにはプロジェクトを円滑に進めるためですが、すこし別の観点からも語られています。

DDDのエピローグにはこんなフレーズがあります。「純粋に技術的な課題は、通常、才能のあるソフトウェアエンジニアにとって最も興味深くやりがいがあるように見えるものだが、ドメイン駆動設計によって開かれる新しい挑戦の領域は、少なくともそれに匹敵する。(中略)複雑なドメインと格闘して、わかりやすいソフトウェア設計にすることは、優秀な技術者にとって刺激的な挑戦なのだ」(p.511)。つまり、エンジニアが技術領域に留まらずにビジネスを理解することは、出来上がるソフトウェアの内部品質を向上させるだけでなく、自身の「仕事の楽しさ」につながるというのです。

テイラー主義からの脱却のために

さて、色々と槍玉にあげられることの多いテイラー主義ですが、まったくの悪というわけではありません。標準化によって得られる効率性や予測可能性、再現性などはビジネスの根幹です。ただし、それを実現するために人間を歯車のように考えてしまうのが問題であり、働く人の満足度を高めて自己実現を後押しするためにも、また、現代における市場や環境の急速な変化に適応できるような柔軟性をビジネスが手にするためにも、テイラー主義を批判的に拡張しつつ人を中心に据えたアプローチがとられるようになってきています。

しかし、いくら経営側がこうした基盤を整えたところで「結局は人である」というアプローチを支えるのは結局は人です。つまり「言われたことをやるから指示してください」という人をいくら集めても実現できず、従業員の側にも結局は主体的なコミットメントが期待されることになります。「上で決めて下が実行する」といった階層と分業の構造から脱却するということは、思考や判断、意思決定といった要素が、従来であれば手を動かすだけだった従業員にも求められるようになるのです。

 

単に言われたことをやるのではなく、自分の意見をきちんと主張しつつ、周りの人たちとすり合わせながら進むべき道を決めていく仕事は楽しいものです。それは、技術力を高め、より難易度の高い問題を解決できるように自分が成長することに比べても、遜色のない充実感と達成感を得られると思っています。このように日々の仕事が楽しくなることは、会社が柔軟性を手に入れるということ以上に重要だと思うのです。

しかし、そのためにはやはり一定のスキルが必要となります。そこで求められるスキルはいわゆる技術的卓越性とはまた方向が異なります。ビジネスの現場における意思決定の技術は多岐にわたりますが、やはりコミュニケーションは避けて通れません。それも会議体といった形骸的なプラクティスではなく、もっと心掛けに近いような行きたプラクティスが必要になります。本書の価値はそういった点にあると考えています。

 

本書には対話の際に意識すべき本質的な価値観と、様々な局面に当てはめるべきプラクティスが豊富な事例と共に解説されています。すべてを実現するのは自分の力だけでは無理な部分もあるかもしれませんが、部分的にでも適用していけば、だいぶ仕事の質を高めることができるのではないでしょうか。それで読んでくださった方々の日々の仕事が少しでも楽しいものになったらいいなぁ、と思っています。今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 

to be continued...

 

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